夜が明けて 広がる空へ

ぶいしっくすに心掴まれておもうこと徒然

蜷川幸雄の一ファンによる、戯曲「ビニールの城」感想 

 

「ビニールの城」、素晴らしい、最高の時間でした。

戯曲に書かれている言葉は全公演、ひとつも変わっていないというのに、回を重ねるごとに、全くもって景色も、心の内の震える部分も見え方も変わる舞台でした。毎回、心の中で温度の上がる部分が変わる、そんな作品。 

蜷川幸雄「追悼公演」と銘打たれていた舞台だけれど、その上を行く、正真正銘の蜷川幸雄「監修公演」でした。最高なまでのキャスティングが、本当に、演出の半分以上を占めている。為すべきは、揃いに揃った最高の素材の魅力を活かすだけ。今回、蜷川さんに代わって演出を手掛けた金さんが仰る通りの舞台が、確かにそこにありました。

 

本当に素晴らしかった。だからこそ、劇中で何度も、最後の最後、最高のカンパニーに全力の拍手を送りながらも、ああ、蜷川さん、演出したかったろうなぁ、と心の底から思いました。これは本当に、やりたかったろうなあって。それくらい本当に本当に、鳥肌が立つくらいに完璧なキャスティングだったから。 

  

最期の最期まで演出してやる、という気概を示すかのごとく、蜷川さんの枕元に置かれていた三冊の上演台本。唐十郎作「ビニールの城」はその一冊でした。


数あるホンの中で、蜷川さんはどうして今回、この戯曲を選んだんだろう。唐十郎石橋蓮司、劇団第七病棟、という40年来の深い深い縁に起因する部分もたくさんあるのだろうと思います。
ただ、アングラ黎明期の方々にとって、演劇は自分の考えを表現するための本当に重要な手段で。いつだってとんでもなく大きな魂を持っていて、それを演劇を通して叫ばないといけないという情熱で動いていた蜷川さんは、本当に命の灯が消える最期の最期まで、演出家として現役のままひた走っていた蜷川さんは、2016年の今、このビニールの城で、一体何を伝えたかったんだろう、と思ってしまう。

蜷川舞台のパンフレットの冒頭には必ず、演出家・蜷川幸雄からのメッセージがあって、いつもいつも、そのページを読むことを楽しみにしていました。
けど、ビニールに包まれたこの手の中のパンフレットには、当然のようにそんなページは存在しない。ああ、本当にもう、蜷川さんは居ないんだと、また一つ実感しなければなりませんでした。

 

戯曲というホンは同じでも、そこから大衆に伝えたいメッセージを決めるのは、演出家です。今回はどうだったのかな。何を伝えたかったのかな。どうして彼らが、選ばれたのかな。

蜷川さんが伝えたいものを形作るために最良と選ばれた俳優達は、その期待に応えましょう、という高い志を持って、毎日毎日違う演技をみせてぶつけ合う。命を削るようにして、役を、芝居を作っていく。それが蜷川さんの稽古場なんだ、と聞いたことがあります。

蜷川さんは、どんな朝顔が見たかったんだろう。どんなモモが、どんな夕一が、どんなビニールの城が。そうしてそれで、何を伝えたかったのだろう。知りたいです。きっとずっと、知りたいままです。

蜷川舞台に魅了され続けたただの一ファンですらそう思うのだから、彼に愛され、彼のエネルギーを体で受け取り続けた一流の役者さんたちはどうだったんだろうかと。
灰皿と罵声が飛ぶとか、先行しがちな激情型のイメージとは正反対で、蜷川さんは、高い教養を物凄く論理的に組み立てて話せる分析型の演出家で。その上に熱を、愛情を乗せて強い言葉にして役者に伝えるから、それを貰った役者は生涯その言葉を覚えてるんだ、と言われていました。だからきっと役者さん一人ひとりの胸の内に、絶対に忘れ得ない、蜷川さんの言葉があって。それを思い返しながら、蜷川さんに選ばれた自分は、この役と、この戯曲とどう向き合えばいいのかと。蜷川さんのいない稽古場で、今度は自分の力だけで。一体どれだけ懸命に、真っ正面から芝居に取り組んだのだろうかと思うと、勝手に泣けてきてしまいます。

 

「俺は、亡くなった人を演劇で追悼なんかできないと思ってる。だから最後に、蜷川幸雄という人を、どこかに叩き込むためにやるんだよ。蜷川さんはこういう人だった、蜷川さんが演出したらこうなったんじゃないかと思いながら。」雑誌の対談で、森田さんと荒川さんに向けて、こう言っていた六平さん。優れた劇作家の功績はホンとして残るけれど、演出家の功績は、悲しいくらいに残らないから。かつて唐十郎状況劇場に籍を置き、演出を務める金さんが「俺の右腕」と信を置く方からのこの言葉に、胸が焼けそうになりました。

 

役者さんにはみんな、稽古場の蜷川さんが見えていたんじゃないのかな、と思います。実際に居るというわけではないけれど、演出していて満足いったときにだけ見せてくれる、白い歯のこぼれる蜷川さんのあの笑顔が、それぞれの中にいまなおきっと、鮮やかに残っていて。
森田さんが、「たまにワーッと怒っている金さんが、蜷川さんに見えるときがある」と言ったり、「稽古をしているだけで、蜷川さんと唐さん二人からの愛情と、みんなが二人に向ける愛情の両方をすごく感じる」と言っていたり。森田さんも宮沢さんも、「蜷川さんに、喜んでほしいから」とあらゆる場面でしきりに口にしていました。

役を、作品を、芝居作りを全力で楽しんでいることを大切にする、蜷川さんの笑顔が見たい。自分という役者を愛してくれた蜷川さんを、自分も愛しているから、どうか、喜んで欲しい。全員がそう思って、毎日闘い続けて、仲間と支え合って、金さんを信じて。そうして作り上げた作品を、私は今回こうやって、一観衆として、見せてもらえたのだと思っています。

 


蜷川さん。森田剛朝顔は、素晴らしかったですよ。
りえさんが、「蜷川さん、きっとこんな朝ちゃんが見たかったんだろうな」と言っていたから、きっと本当に、そうなんだろうと思います。心の成長が止まってしまっている男の、繊細さと狂気とある種の幼さと、そのすべてを抱えた朝顔が、板の上に生きていました。

どれだけ取り繕おうと、「ここに居場所がない」と身体が言ってしまっている。それが森田剛の、舞台の上での何より得難い魅力なんだ、といっていた蜷川さん。彼は、その身に携えた唯一無二の疎外感だけでなく、鋭い感性で唐十郎の言葉を操って、あんな小さな身体で信じられないくらいのたしかな存在感を放って、ぐんぐんと戯曲を引っ張っていました。

目で追えば追うほどに、ああこの人は、圧倒的に身体表現に優れているひとなんだ、とまざまざと感じました。自分の身体の動かし方を、指の先から視線に至るまで、自分自身で熟知している人が舞台に立つと、こんな映え方をするのかと、目が離せませんでした。感情を乗せて思い切り振り返るさま、空気銃でデンキブランが弾け飛び、さようならと告げられた後、言葉もなく視線と頭の動きだけで魅せる絶望の表情。

声も素晴らしかった。人形に話しかけている四畳半の光景がいとも簡単に目に浮かぶ、悲しいほどに湿度の籠った声なのに、こんなにも劇場の奥までしっかり届くなんて、と驚きました。舞台上に推し並ぶ名優達と堂々渡り合う、才能を努力で裏打ちした本物の舞台人だと思いました。

 


少女のように無垢で奔放、一方で情婦のような色香を纏いながら、母の顔をも持っている。女の全てをひとところに投じたように多面的で万華鏡のようなビニールの中の女、モモ。折れそうなほど細い身体から一体どうしてと思うほど、劇場の奥の奥まで美しく伸びまっすぐ届く、鍛え抜かれた、けれど優しく包み込むような声。

初めて見る板の上の宮沢りえの芝居力は、圧巻の一言でした。抜きんでていました。

新聞紙の覆いから彼女が顔を覗かせただけで、劇場の空気が一変する。鳥肌が立ちました。まつげを二、三度瞬かせただけで、ああ、もうこの女に惑わされずにはいられないと思わせる。表情、眼差し、抑揚、声色、佇まい、その全てに透明感と厭世観を共存させ、カミヤバーのドアから駆け入り、霧の向こうに消えていくまで、この役を演じるのは宮沢りえ以外あり得ない。誰もを得心させる、抜群の「モモ」でした。

「常識や倫理のひしめく日常より、唐さんの世界のほうが自分にとってはずっと生きやすい」「自分の陰の部分、破壊衝動みたいなものを、蜷川さんが見抜いて、唐戯曲へと出会わせてくれた」と言うりえさん。いい子にしていたのに、どうしてバレちゃったのかしら、と微笑み、「病んでる最高の女優へ」と書かれた楽屋の暖簾を、蜷川さんからの宝物の言葉です、と嬉しそうに掲げるりえさんは、今回も唐戯曲の中で、圧倒的なエネルギーを放っていました。その姿を目にして、下谷万年町物語盲導犬と続く、唐戯曲における蜷川さんのミューズが、宮沢りえであり続ける理由が、腹の中までズドンと落ちてきました。

 

荒川さんも、江口さんも、大石さんも。アングラを知り、唐戯曲の何たるかを知る六平さん、石井さんは勿論のこと。唐十郎の劇世界で躍動する、すべてのキャストに圧倒されました。

 

演者としても抜群の存在感を示しながら、唐十郎の世界と蜷川幸雄への愛と敬意を存分に詰め込み、演出をしてくださった金さん。

狭いシアターコクーンの、劇場に入ってすぐにそびえる不気味な倉庫の人形棚。始まる前に度肝を抜かれ、ワクワクしながら開始を待つ、そんな舞台装置。一瞬本当に、蜷川舞台を見に来たのかと、とんでもなく驚きました。「なんてじめじめした陽気だろう」の掛け合いとともに、蜷川さんそっくりの腹話術師の方が出てきたことも。開始早々、爆音とネオンの洪水でカミヤバーと瓢箪池が現れる演出も。一気に芝居の世界へと連れていってもらいました。

蜷川さんはきっと褒めてくれると思います、という金さん。『おう、金、頑張ってるな』『俺がやったらもっとスゲェのにな』って、と。蜷川さんの褒め言葉だから、負けん気と口の悪さが並ぶよね、というのが、ああ、本当に本当に蜷川さんに近しい方なのだな、と胸が熱くなりました。

 

 

「蜷川さんはすごく大きな魂を持っていて、それを演劇を通して叫ばないといけないという情熱で動いていた。私達役者はそのエネルギーを体でもらっているから、決して忘れることはない」
「そしてその想いは、蜷川さんの舞台を観たお客様の心の中にも、燃え続けると思います」
数多くの蜷川舞台に出演され、告別式では弔辞も読まれた大竹しのぶさんが、蜷川さんの追悼番組で、そうおっしゃっていました。その通りだ、と涙が出ました。


私が、人生で初めてきちんと触れた舞台芸術は、2003年、シアターコクーンで上演された、蜷川演出「ハムレット」でした。四方を金網に囲まれた舞台の上を駆けずり回る藤原竜也の命を削り出したような声を慟哭を、生涯で初めて、一気に全身鳥肌の立ったあの感覚を、今でもはっきりと思い出せます。

あの時から私は、舞台という、肌で感じる最高の芸術の虜です。スモークの焚かれた開演前の湿った空気、劇場に並び立つ花輪の香り。ベルが鳴った後、深く腰掛け背筋を伸ばし、はじまりを待つ緊張感。きっかけは全て、蜷川さんがくれました。蜷川さんに教えてもらって開けた扉の向こう側は、本当に豊かで、楽しく思える世界がどんどんと広がっていきました。新しい人との出会いも生まれました。大人になったいまでもなお、ああ、楽しいな、と思えることの根源には、蜷川さんの舞台で味わった、あの時の感動に連なるものがあるんだろうなと思います。

 

座っているだけで魂抜き取られるんじゃないかと思うような熱量が、劇場全てに溢れてる、蜷川舞台が大好きでした。
自分の意志を貫き具現化し、大衆の心を揺さぶり拍手の渦を巻き起こす。生涯現役で最前線で戦い続けた演出家・蜷川幸雄は、私にとって永遠に尊敬し、感謝し続ける大恩人です。

 

舞台だけじゃない。音楽でも映画でも、極上の芸術とそこに関わる全ての人にありったけの拍手と敬意と感謝の声を届ける機会を得たいから、一観衆である私たちは、明日も稼ぐし頑張れる。
その作品から受け取った膨大な熱量が、泣きたいほどの感動が少しの勇気に変わるから、劇場を出た自分の足で立っている、この世界でもう少しだけ、頑張ってみようかなと思える。
エンターテインメントは本当に、人の活力だと思います。

 

極上のエンターテインメントの楽しみ方を、最初に教えてくれた、蜷川さんに。
最期の最期まで、与えてくれた蜷川さんに。
心から感謝しています。
本当に本当に、ありがとうございました。

 

 

悲劇喜劇 2016年 09 月号

悲劇喜劇 2016年 09 月号